UIとUXを馬鹿にしたい
UIとUXとは?
マーケティング関連の勉強を吐血しながらしていると、UIとUXという言葉と出会うことがしばしばある。
その度に斜に山は、話題から振り切られてしまい、マウントを取られた気持ちになり、悔し涙を流している。皆様はそんな経験ありますか?(多分ない)
UI=User Interfaceの略らしい。使用者の接点?とかになるのかしら?
何を指してるかというと、人とモノ(PCとかスマホとかがよく言われるけど、多分すべてのもの)を繋ぐ窓口らしく、WEBサイトで目に入る情報(フォントとかデザインなど)とか、車のフォルムとかもUIとなる、、、と思われる。つまり、このブログもUIである、、、はず。
みなさんが見やすいフォントにするとか、ページのデザインにするとかを意識することを「UIを意識する」ときゃつらは言うみたい。
次にUXについて。
UX=User Experienceの略らしい。使用者体験?
何を指してるかというと、このブログでいうとこの、皆さんが読んだときに、「見やすいなぁ」とか「見にくいなぁ」とかって思うことがUXにあたる、、、はず。
そして、今のマーケティング業界ではこのUXが重要とされているという話を聞く。所謂、モノ消費からコト消費への変化がおきており、消費者は素晴らしい体験のためにお金を使うらしい。(サブスクリプションとかが良い例か?)そして体験価値を高めるためには、UIを意識する必要があるという理由で、UIとUXはだいたい揃って出てくるようだ。
斜に山の意見
UEじゃないの!?泣
これに尽きる。
昔読んだ哲学書にゴールド·E·レクイエムって偉い先生は略されて記していたので、絶対UEだと思う。
これだけでUIはまだしも、UXは金輪際使用したくないですね。
伝わらなければ、言葉をどれだけカッコつけても無駄、無駄だから略語が嫌いなんだ…無駄無駄…。WRYYYYYYYYY。
OODAを馬鹿にしたい
OODAとは?
みなさん、PDCAサイクルが古いって知ってました?
時代はOODAループらしいです。
O:Observe(観察)
O:Orient(状況判断、方向づけ)
D:Decide(意思決定)
A:Act(行動)
の略語らしいです。
働き方改革による労働時間の減少に伴い、短い時間で成果を出すためには、PDCAサイクルではなく、OODAループが求められているとかいないとか。
この2つの違いを端的に言うと、PDCAは「計画を立ててやる」、OODAは「状況を見てとりあえずやってみる」だそうです。
既存事業の売上upなどにはPDCAは有効であるが、VUCAな時代である昨今(使いたいだけ)、計画を立てている間に状況が変わることはよくあることなので、OODAの考え方が大事だそうです。
斜に山の意見
この略語いる!?てかOOPDAなのでは!?
ObserveしてOrientしてDecideする前に、絶対Planしてしまっていると思うんですよね!?
というかPDCAのPの中にOOは入ってると思うんですよ。
つまり変化の早い時代だから、今までよりもPの時間を短くして行かないと、時代に乗り遅れるってことが大事っていいたいがために、また新しい略語が爆誕してしまったと推測される。必要あったのかなぁ…。
個人的にはループとサイクルって言い換えてるところもムカ着火ファイヤーです。
行動力は大事だということは学びつつ、この略語は多分流行らないと思う斜に山であった。
VUCAを馬鹿にしたい
VUCAとは?
皆さん、今の時代はVUCAな時代らしいですよ。
ご存知でしたか?
もちろん私は知りませんでした…。(私は大海賊時代世代です。)
VUCAとは、仕事(ビジネス)において、将来の予測が困難になっている状態を示す造語らしいです。(なるほどな…?)
ちなみになんの略か気になったので、調べてみました。
V:Volatility(変動性)
U:Uncertainty(不確実性)
C:complexity(複雑性)
A:Ambiguity(曖昧性)
もともとは軍事用語だったらしいですが2010年代に入り、ITやキャッシュレスなど変化が激しい不明確な社会情勢を指して、VUCAが使用されるようになってきたらしい。
ちなみに、我々がVUCAの時代で生き残るためには、下記のような人間になる必要があるそうです。(皆さんいかがですか?)
- 明確なビションを持つ
- 情報収集し、受け入れる
- 選択と集中
斜に山の意見
なぜ今だけがVUCAの時代というのか、全く意味がわからない。というのが正直なところです。
先人達の時代もきっとVUCAだったに違いない。(戦後とか僕は先を見据える元気すらなかったと思う。ほんとにすごい。)
確かにグローバル化が進み、技術進化のスピードも、情報に触れる量も、過去と比べれば現代は文字通り、桁違いだと思います。
しかし、未来はいつの時代でも見通すことはできないはず。いつだってVUCAな時代なはずなんだ…。(現代を特別視しすぎでは?いつの時代でもその時が最先端なはずなのに)
VUCAな時代だから、ビジョンを明確に!とか、いろいろなソースから情報を得よう!とか、一度選択したらやりきろう!とか言われていますが、そんなのいつの時代も一緒なはずだ。しかも、最終的に選択した事業も当たるかは結局のところ出たとこ勝負…。
VUCAの時代だから!ではなく自分の判断に後悔しないために!とかのほうがしっくりくるのになぁ…。
MECEを馬鹿にしたい
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
4ヶ月ぐらいサボり倒していた斜に山です。
ブログはサボっていましたが、
マーケティングや自己啓発やらの勉強は血反吐吐きながら続けていました。
きゃつらが言っている内容は、斜に構えているせいで大体納得できないのですが、
アウトプットの回数を増やすということに関しては、「さもありなん」と思ったため、2021年はもう少しがんばりたい。
MECEとは?
復帰第一弾(また最後?)として、MECEを紹介したい。これまた私は勉強するまで、一度も出会ったことがない単語でした。
MECEとは、Mutually Exclusive, Collectively Exhaustiveの略らしい。さっぱりである。
ジャパン語に訳すと、相互に排他的、集合的に網羅的…?(私の英語力の限界)
Google先生の力を借りると、「漏れなく、ダブりなく」という意味らしい。ものごっついわかりやすい。(先生、流石です)
ビジネスの世界では、MECEで考えることが重要らしいですよ。MECEに考えることで、漏れがなくなりますし、コミュニケーションも円滑になるらしいですよ。すごいぜMECE!。
斜に山の意見
確かに常に漏れなく、ダブりなく(MECE)考えることができれば、そんなに嬉しいことはない。でも多分、大体の人間が自分一人で考えて行動する時は、「これで完璧(漏れなし!)」と思って行動している気がする。
遠出する時の荷造り、終えたときは完璧と思っても、出発した後に忘れ物に気がつくのはあるあるである。
MECEに考えようという意識は必要であるが、こだわり過ぎて行動できないほうが問題だと思う。とりあえずやってみる、そして見落としに気がついたら修正。その繰り返し。
私は行動力がとにかくないので、偉そうに書いたが戒めである。
そしてMECEという単語、もうなんの略かわすれた。もうすでに私の頭からは漏れ出たようだ。
さよならバイバイ。元気でいてね。
BATNAとZOPAを馬鹿にしたい
BATNAとZOPAとは?
私は勉強するまで一度であったことがなかったワードのBATNAとZOPA…。意識高い系の方々は、交渉や説得する際に大事となる言葉の頭文字をとって記憶しているみたいです。
- BATNA:Best Alternative To Negotiated Agreement(交渉で合意することの代わりの最善案)の略
- ZOPA:Zone Of Possible Agreement(合意できる範囲)の略
交渉や説得がうまい人は、これらの構造を理解している人らしいですよ。
斜に山の意見
よしんば、「君はバトナとゾーパを意識してないから交渉が下手なんだよ」と先輩に指摘されたら、私がその先輩のことを尊敬し、忠告を素直に受け入れることは一生ないだろう。なぜならば、意味が不明だし、なによりこれらの略語がダサいからである。
私は重度の厨二病なので、横文字はかっこよくあるべきだと思っている。「囁くのよ、私のゴーストが。」は超かっこいいが、「囁くのよ、私の意思が。」では締まらない。(攻殻機動隊から引用しました。小学校の道徳で必修にしてほしい神作品です。見てない人はぜひ!)
つまり、かっこいい横文字が響くのであって、横文字にすれば何でも響くわけではないと私は思う。きゃつらはそこを勘違いしてる気がする。
外国の方がBATNAとかZOPAというのは、なんら違和感はない。変だと感じるのは、極東の人種が、母国語でもない言葉をかっこよくもないのに使っているからである。
BATNAっていわずに「妥協点」でいいじゃん…ZOPAって言わずに「妥協範囲」でいいじゃん…。日本語も捨てたもんじゃないはずだと私は思う。
PDCAを馬鹿にしたい
PDCAとは?
意識高い系の人が、弱パンのように繰り出してくるPDCA。これは、Plan(計画をたてる)→Do(実行する)→Check(確認する)→Action(改善する)の頭文字である。なぜかきゃつらは、頭文字を取れば伝わりやすいと思っている節がある。(MECEとかZOPAとかBANTAなどなど、私にとっては意味不明である。)
仕事を行う際に、PDCAサイクルを意識することによって、以下のような利点があると言われている。
- 目標が明確になる
- 行動に集中できるようになる
- 現状の課題がわかる
斜に山の意見
PDCAなんてわざわざカッコつけている時点で、仮に自分がPDCAサイクルを仕事で回せていなくても、助言を聞き入れることは私にはできない。なぜなら、共感や理解ができないからである。(カッコつけやがって…きっしょ…で終わる)
PDCAという行為は、興味があるものに対して、勝手に回しているものだと私は思う。その経験に紐付けて、仕事でも同じことしていこうぜっ!って言われたほうがより共感できるし、必要性を理解できると思う。
例えば、私はファイナルファンタジーXのマカラーニャ寺院のシーモア戦でボコボコにされた。また一人、また一人とヤラれた…。
しかし、やられるたびに私は計画(Plan)をたてた。「まずはオートポーションを使う取り巻きを倒さないと話にならん…。」そして開幕直後にシヴァのオーバドライブをぶっぱした。(Do)結果、取り巻きは倒せたが、アニマにボコられてまけた…。(なぜ負けた?…(Check))「そうか、シヴァのオーバードライブは温存して、アニマにぶっぱするべきなんだ。(Action)」
上記のような試行錯誤を経て、憎きシーモアを屠ることができました。(FFXは神ゲーなので未プレイのかたはぜひプレイを!)
別にゲームじゃなくても、勉強でも、スポーツでも、恋愛でも、みんな質の違いはあれど、私生活で勝手に回しているはずである。
つまり、PDCAって偉そうに言うほど、大したことではないのである。このブログを読んでるシャニカマエニストの方で、PDCAごときでマウントをとられたら、まず、「うわぁ俺こんな当たり前なことできてなかったのかよ…」と反省しつつ、「当たり前のことを難しくいうちょっとナルシストなんだな、、、もったいない」って悲しみながら、話を聞いてあげましょう。